2012年2月16日 (木)

治療終了後2年半

健康であることを感じる毎日。

一度二度Cimg1047三度と健康を失ったからこそその有難さがよくわかります。

インターフェロン治療が終わり2年半、副作用や後遺症を含め、その呪縛からやっと解放された感があります。

食欲も戻りました。眠れぬ夜もなくなりました。安定剤を飲むこともしなくなりました。

そして肝炎と決別できたことを実感しています。

この病気、解放されてあらためてそう思うのですが、私にとって長い間本当に重たい足かせでありました。

あれほどひどかった倦怠感もなくなり、疲れない元気な身体になりました。気がつけば、24年間呪文のように繰り返していた、「きつい」という言葉を最近使わなくなった。これが一番うれしいこと。

これまでただ漫然と流れていた時間でしたが限りある時間を大切にしよう。
後ろではなく前を見ている私。

二度目の人生が始まったような気持ち。治療終了後2年半の心境です。

2011年12月 2日 (金)

治療終了後2年

検査のため熊大病院へ。敷地内の紅葉がきれいでした。

ほんとは半Cimg0924年ごとのはずが、かなり遅れての検査となってしまいました。

部屋に入るなり主治医からしばらくお小言。「ウイルスを排除できてもガンのリスクはなくならない。」と。じゅうじゅうわかてはいるものの、のど元過ぎていました。深く反省。

検査はいつも血液検査と胃カメラと腹部エコーの3点セット。

結果は特に異常ありませんでした。いつものことですが、鉄が大幅に正常値を下回って、枯渇状態。そのわりにはヘモグロビンが頑張ってくれていて、鉄剤も処方されませんでした。

「貧血がひどかったので肝炎の進行も抑えられていたんでしょうね。身体が鉄欠乏に順応しています。」と。貧血には今も苦労していますが、瀉血療法もあるくらいだから、結果よければすべてよしとすることにしましょう。前向きに。

さっそく認可がおりた新薬、テラプレビルについていろいろ聞いてきました。

副作用の皮膚症状がかなりつよく出現し、重篤となりICUに運ばれるケースもあるそうです。そのため、熊本県では皮膚科と連携できてICUがある5医療機関での使用に限定されています。熊大でもかなり慎重な様子でした。

発売元の田辺三菱の姿勢を「治癒率などのいい話だけ先行していて、悪い話はぜんぜん出てこないからね。」とズバリ指摘されました。私も聞いてはいたものの、それほど重篤なケースがあるとは知りませんでした。

また、現在治験中であるほかのプロテアーゼ阻害剤での治療を含めて、1回のみの治療費助成となるため、どの薬で治療するか、今後見極めが重要となりそうです。

インターフェロンを使わない経口2剤の治験も進んでいて、治療法もどんどん進歩しています。患者側もすぐ飛びつくのではなく、正確な情報を手に入れ、どの治療法が一番自分に適切であるのか時期も含めて医療者側と十分話し合うことがさらに求められています。

次回は半年後、主治医とお会いするのを楽しみにして帰りました。

2010年10月23日 (土)

取材

もう取材もないと思っていましたが、昨日自宅で取材を受けました

地元テレビ局がC型肝炎についての30分番組を2本も作るというのでちょっとびっくりしていたところ、中外製薬がスポンサーと聞き納得。ウイルス検査と早期治療の大切さを伝える番組です。放映は11月下旬ころ。

いつもテレビで見ている美人アナが我が家に来る、というので朝からせっせと家の中の大掃除。こんなことがないとなかなか片付かないのです。

1時間にわたってインタビューを受けました。感染からこれまでの23年間の闘病と訴訟の話を詳細に。普段は心の奥底にしまって絶対触れないようにしていることです。

インタビューに答えながら、その時々の感情がよみがえってきて、何度話してもつらいなあ、とあらためてそう感じました。

しかし、もう過去のこととして捉えることができそう。そんな気持ちを引き出してくれた昨日のインタビューでした。

                 でこぽん

2010年1月 5日 (火)

終了後5ヶ月

昨日4日は仕事始めでしたが、私は通院始めとなりました。

前回の診察時、「1月4日は患者さんが少ないのでねらい目。」と主治医からすすめられたので、新年早々ですが熊大に行ってきました。採血はいつもより1本多くて7本。何回やっても苦手です。

2日、3日は背中の痛みや吐き気があったので、結果が少し心配でしたが、12月7日のウイルス検査の結果は陰性でした。(年末年始の疲れと食べ過ぎだったようです。) これまでたびたび要注意だった血糖や免疫の値も正常値に戻り、やっと微熱もおさまってきました。ただ、ヘモグロビンは12,4なのですが鉄が32と正常値の半分以下。ほとんど枯渇状態。これまで鉄をたくさん含む食べ物は極力避けてきましたが、「食べていいですよ。」と言われたので何年ぶりかで牡蠣や納豆を食べようかなと思っています。

「来月が終了後半年ですが、今日の結果がよければほぼ大丈夫でしょう。ゴールは見えてきました」と主治医。「ここまでほんとに長かったです」と私。まだ喜ぶには早すぎるとしっかり釘をさされましたが、新しい年の初めだけにうれしい日となりました。

治療期間の1年間は、もちろん副作用で苦しみましたが、終了後も身体の不調と再燃することへの不安はいつもつきまといます。結果待ちというのも意外とストレス。私の治療はトータルで1年半といっても言いすぎではありません。この長い期間を一緒に伴走してくれるドクターの存在はとても大きな支えとなっています。 

                           でこぽん                     

2009年12月 7日 (月)

終了後4ヶ月

今日は月に一度の定期検査でした。

1ヶ月前に行ったウイルス検査の結果は陰性でした。「今日の結果でまた治癒に近付きましたね。」と主治医から説明を受けました。私よりなんだかうれしそうな感じで。白血球、ヘモグロビン、血小板など、治療中に要注意だった値は正常値まで回復していました。

ほぼ同時期に治療を始めた原告仲間の治療経過、結果、終了後の経過もほんとうに様々です。昨日は福岡で会議があったのでみんなと情報交換してきました。72週終了後も少量投与を続けていたり、薬量を減らしたため48本が58本に増えたり。終了してもうつや甲状腺の後遺症が改善しなかったり。厳しい状況でもみんな頑張っています。もちろんとっても元気な人も。

私は相変わらずあちこち移動でばたばたしているのがいけないのか、熱が出るのがとっても気になります。最近は減っていますが。今回また免疫の値が異常値でした。主治医からは、「熱の原因かもしれません。もう少し様子を見ましょう」と言われました。体重もなかなか増えてくれず、1キロ痩せてしまいました。ちゃんと食べていないから。

あまりぱっとしない体調ですが、無事に完走でき、陰性継続中であることだけでもありがたいことなので、もうしばらくあせらずにゆっくりした気持ちで過ごしたいと思います。あれだけ強い薬を1年間も投与したのですから回復にも同じくらいの時間がかかるのかもしれません。

                                 でこぽん

2009年11月 9日 (月)

終了後3ヶ月

今日は熊大で検査でした。

9月28日に行ったウイルス検査の結果は陰性でした。過去2回は検査結果に気持ちがぜんぜん向きませんでした。副作用がまだ残っていたし、治療が終わったこと自体に満足していたのかもしれません。今日は結果を聞くまで落ち着かずドキドキしてしまいました。月に1度の憂鬱がしばらく続きます。

他の検査結果も問題ありませんでした。前回指摘された膠原病の値も改善されていてほっとしました。が、順番を待っている時も熱が出て、計ると37,5度。ドクターは、「微熱の原因は思い当たりません」と。まあいいか。以前のように節々の痛みもないので解熱剤なしでも大丈夫なので。そのうち治るでしょう。(前向きです)

病院の廊下で、肝移植を受けられた患者さんとばったり会いました。福岡での裁判を実名でずっと応援してくれた方です。6年前、移植前の浦田さんの姿に衝撃を受けたことが、実名で裁判に参加した理由でした。「裁判が終わっても何も変わっていない」会うたびに怒られていましたが、今日はいきなり握手されてちょっとびっくり。法律を一番待ち望んでいる一人でしたから。明日は新聞社の取材を受けられるそうで、どんな記事になるのか楽しみです。現在浦田さんは移植後にIFN治療でウイルスを排除されていますが、ここまでの道のり、どれだけ大変だったか想像もつきません。この6年間のことをいつか語り合えたらと思っています。

                         でこぽん

2009年10月 3日 (土)

終了後2ヶ月

28日は4週間ぶりの診察でした。

採血はいつものように6本。採血をしている時間はたぶん2,3分なのにとっても長く感じられます。気分がいつも悪くなり、痛いし、苦手です。

前回8月31日に行ったウイルス検査の結果は陰性でした。「今月と来月の結果がよければ少し安心できますよ。」ドクターはいつもよりにこにこの笑顔。。再燃した時はドクターもショックを受けるというような話もされました。

血液の値はほぼ正常値なのですが、IgGという値が高値を示しているので様子見ということでした。免疫の値だということですが、、、。微熱の理由もはっきりしませんがこちらも様子を見ることになりました。

1月まで毎月こんな感じで検査が続きます。1年間やるだけのことはやったので著効を信じてはいますが、再燃したときのことも頭をよぎります。いまさら考えても仕方ないので、そのときはそのとき考えることにします。

                                でこぽん

2009年9月21日 (月)

終了後6週間

熱はいつまで?

先月末のことですが、熊大で終了後1ヶ月の血液検査とエコー検査をしました。血液の値はほぼ正常範囲内におさまっていました。エコーの結果も異常は見当たらず、以前指摘されていた脂肪肝もきれいに改善していてひと安心。

まだ熱は続いています。もうそろそろ微熱ともさよならしたいのですが。寝る前は安定剤を飲まないと眠れないような気がして今も依存中。朝は最悪で、今日はこんなに良いお天気なのに部屋のカーテンやブラインドを開け放つ気分にならず閉めたまま。あいかわらず必要以外はこもったままです。痒みもなかなかおさまらず、足は半年間も悲惨な状態。最近はまぶた、目の周りの痒みに困っています。インターフェロンのダメージって大きくて、なかなか抜けない。

とはいっても治療中に比べると少しずつ体調は楽になってきています。去年の秋はナシとリンゴばかり食べていましたが、食べたいもの、食べれるものが増えてきて体重も2キロ増。副作用で泣きたくなることもありましたが、もう少し時間が経てば気力も回復して元の生活に戻れそうなイメージを持てるようになってきました。よかった。時間がリハビリかな?

来週は検査日。ウイルスが陰性のままだったらいいのですが、、、あと半年は検査結果にドキドキです。

                         でこぽん

2009年8月14日 (金)

闘病生活

昨年8月14日に治療のため入院、今日でちょうど1年が経ちました。肝炎と決別するために頑張った?我慢した?1年間でした。

裁判では自分の被害を嫌というほど語ってきましたが、ブログには書いたことがなかったので、闘病生活の経過を少し綴ってみます。今さらですが。

1987年7月、双子の男子を出産した際、輸血と血液製剤の投与を受ける。(血液製剤投与については16年間知らずに過ごした)。翌日黄疸が現れ、産後3日目に内科医院に転院。2週間の絶対安静と点滴治療。医師は原因や検査数値については教えてくれず、いつもうやむやな答えだった。感染直後の肝数値が一体どの程度だったのか知らないまま。今考えると、医師は故意に告げなかったのだと思う。

1987年9月、一時退院したが再び肝数値が跳ね上がり再入院。病名は非A非B型急性肝炎、原因は出産時の輸血と診断された。半年間の入院生活で強ミノファーゲンを毎日投与したが、数値は安定せず700~100くらいを行ったり来たり。

1988年1月、退院。その後4年間ほど週2、3回強ミノ静脈注射を続けたが、数値は正常値には戻らず、この注射をどれだけ打っても同じだと思うようになった。途中、承認されたばかりのインターフェロン治療を勧められたが、医療への不信感があり拒否。また検査結果に一喜一憂することに疲れてしまい、通院を止めてしまった。その後裁判が始まるまで10年間病院には行かず、肝炎についての情報もシャットアウトした。肝炎のことを忘れて暮らしたかったのだが倦怠感や疲労感が強くて結局肝炎のことを忘れる日は1日もなかった。肝硬変や肝ガンに進行しなければ、慢性肝炎のまま寿命をまっとう出来れば、という気持ちだった。治療は放棄したが一生ウイルスと共存していく覚悟をした。

2004年3月、薬害肝炎九州訴訟の1陣原告となった。診断書提出のために10年ぶりに以前の内科医院に行き検査。GPTは90、慢性肝炎と診断された。ペグイントロンを勧められたが訴訟中でもあり治療は考えられなかった。しかし訴訟に参加したことで最新の治療情報を知ることになり、いつかは挑戦しなければという気持ちになった。

2006年10月、福岡地裁の判決後、専門医のいる熊大病院を初めて受診。1B型と診断された。その頃は肝数値も正常値、ウイルス量も落ち着いていた。

2008年2月、訴訟が解決したので半年ぶりにおこなった検査でウイルス量が突然跳ね上がった。4月の検査でも再び上昇。「1B,高ウイルス量なので治療期間は72週」と医師から告げられ、初めて治療時期を本気で考えた。

2008年8月14日、肝生検とインターフェロン治療導入のために熊大病院に3週間入院。

2009年7月28日、インターフェロン50本の投与をもって治療終了。

2009年8月、治療終了後2週間経ったが、治療中と変わらず副作用に悩まされる日々。

             でこぽん

2009年8月10日 (月)

終わったけれど

ペグイントロンは7月28日、レベトールは8月2日が最終日でした。

治療が終わって1週間たちました。体調が即刻元に戻るわけでもなく、この1週間はこれまでとおんなじでした。血中濃度が低下するには4週間ほどかかるそうです。どんな感じで薬が身体から抜けていくのかな、じっくり体感したいと思っています。

微熱はまだ続いていて今日も37度あり、薬はまだ効いているようです。ヘモグロビンは治療中ずっと10~11で貧血症状はさほど気になりませんでしたが、昨日は駅の階段が上れなくて、歩くのもやっとでした。安定剤は1ヶ月分処方してもらっています。これがないとまだ眠れそうにありません。出掛けたり人と会うことが苦になるのでなるべく家にこもっています。最低限のことはどうにかこうにかやっているつもりですが、人から見るとできていないかもしれません。

「終わったのに」という気持ちもありますが、あせっても仕方がありません。薬の血中濃度が下がる1ヶ月間はまだ治療中だと考えることにしました。弱っている分、リハビリには時間がかかりそうですが。

とはいえ、毎週月曜日の注射と朝夕のレベトール服用がなくなってほんとうに自由になりました。かなりのストレスでした。せいせいしています。

          でこぽん

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