« 2013年2月 | トップページ | 2013年4月 »

2013年3月

2013年3月28日 (木)

今頃になって

インフルエンザに感染(たぶん)。

桜もあっという間Cimg1564に満開になり、この冬は風邪もひかずに元気に過ごせたと思っていた矢先、まさかの出来事。数日間、ひたすら寝て過ごしました。

39,4度の高熱にびっくり。熱と痛みに我慢できず、急いで病院に行きウイルス検査を受けたところ、、、結果は陰性。

症状が出始めて24時間ほど経過しないと、判定ができないそうです。そういえば、数年前も高熱にうろたえて受診したところ、同じ結果で、同じようなことを言われたことをすっかり忘れていました。痛い検査を我慢したのに、、、。

当然、陰性なので、タミフルなどの特効薬は処方してもらえません。タミフルください、とはさすがに言えませんでした。高熱は下がったものの、体中の痛みは消えてくれずに、ぐずぐずして、体重も2キロ減。インターフェロン治療中もここまで高熱にはならなかったような。

この10日間ほど、移動続きがたたったのかなあ。長崎~東京~松本。

元気な時はあまり気にしない自分の身体、もっといたわらなくちゃですね。

写真は発熱する前に見た桜です。東京・上野公園です。

2013年3月17日 (日)

ボストン美術館展

14日、太宰府の九州国立博物館へ出かけました。

太宰府まで出かCimg1554けてよかった、と思える展来会。日本美術を堪能できます。

国内にあれば国宝級の美術品を、これだけ一堂に鑑賞出来る機会はあまりないかもしれません。特に、絵巻物の「平治物語」と「吉備大臣入唐物語」はゆっくり鑑賞しました。吉備大臣の話は、幽霊や超能力なんかが出てきて結構笑えます。

尾形光琳や長谷川東伯や曽我蕭白は圧巻。教科書でしかしらなかったので、これらの作品の前では足が止まってしまいました。ただ、歴史をもっと知っていればもっと楽しめるのですが。いつも思うことです。

至宝という言葉がぴったり。どれも美しく、とても幸せな気持ちにさせてくれました。もう4日も経っていますが、持続中。

次は大阪へ巡回するようです。機会があればもう1度足を運びたい展覧会です。。

2013年3月13日 (水)

こころざし高く




患者さんの訃報が届き、悲しいお別れをしてきました。

球磨郡錦町のCimg1532C型肝炎患者でつくる”のぞみの会”の代表をされていたTさん。

出会いは2009年でした。のぞみの会の総会に呼んでいただき、その後3回錦町でお話する機会がありました。Tさんは、50歳で肝がんを発症し、亡くなるまでの15年間、十数回の手術をされています。ご自身の病状は深刻であるのに、会の活動を通して、仲間のことをいつも心配し、励ましておられました。

また、錦町と一緒に、国や県に錦町の現状報告をしたり、肝炎対策を要望するなどの活動をされていました。昨年末には、町議会の一般質問でC型肝炎問題が取り上げられ、のぞみの会で傍聴されています。

身体障害者手帳の給付が開始されることが決まった日、私は当然Tさんも該当すると信じて疑わず電話をしました。Tさんは申請のため、すぐ医療機関を受診されましたが、申請すらすることができませんでした。それほど給付のハードルが高いことを知り、愕然としました。

実際お会いしたのは数回ですが、入院が決まった時や退院したときに何度かお電話をくれました。私はただお話を聴くばかりで何も力になることはできませんでした。

私達の訴訟は、これまでたくさんの患者さんに支えられてきました。熊本で共に闘ってきた患者さんが亡くなられるたびに、そのこころざしの高さと無念さを痛感します。その尊い死は決して無駄にしてはならないと思うのです。

小崎さんやTさんのこころざしを少しでも引き継いでいこうと気持ちを新たにしました。

2013年3月 8日 (金)

春なのに

最近の熊本市は黄砂が大量に飛んできてどんより。

そのうえ、PM 2,5って耳慣れない数値に振り回されております。5日、熊本県がPM 2,5の高濃度飛来を予測し、初めて注意喚起を呼びかけました。

中国から偏西風に乗ってやってくる迷惑限りない大気汚染物質。どの程度警戒していいのやら、よくわかりません。

ニュースを見た県外に住む友人数人から心配のメールがきました。北京に長年駐在していた友人は、「中華とは自分が世界の中心ということ。人からとやかく言われても動きません。」と言ってきた。そう言われても、「中国、ちゃんとやってよ!!」と叫びたい。

3月になって気温も上がり、やっと冬眠が終わった感のわたし。それなのに、洗濯物は室内干し。お布団も干せず。来月エントリーしているマラソンの練習どころか、余計な外出も控えております。雑草も今のうちに抜いておかないとたいへんなことに、、、。

今日も予報では、大量の黄砂が飛んでくるそうです。マスクをするのは嫌いですが、マスクを買い求めました。

2013年3月 6日 (水)

田辺三菱製薬との定期協議

少し前のことですが、2月末に、田辺三菱製薬との継続協議が大阪で開かれ参加しました。基本合意にのっとって開催されており、今年で4回目の協議でした。

原告団の要求事項は、主にこの3点です。

① 薬害肝炎事件についての社内検証を行うこと

② 社内での薬害教育に被害者の声をとりいれること

③ 未告知者解消のためのカルテ調査を自発的・積極的に行うこと

結果は前年までとほぼ同じで、

①については、薬害エイズ事件ですでに検証済みなので、あらためて肝炎については行わない。

②については検討している。

③については現在やっていること以外はやらない。

昨年までの協議で、原告団のいくつかの要求に、「検討します。」という回答をしています。しかし、今回にいたっては、「検討したかどうかを回答する約束はしていない」という返事に終始しました。

2時間の協議でしたが、人の命や健康に携わる仕事をしている製薬企業とはかけ離れた発言と態度でした。

そんなことは訴訟中から知ってはいましたが、社会的制裁を受けたことで反省し、少しは改善しているのではないか、変わって欲しいと協議に臨みました。

しかし、田辺三菱ははなから何もやるつもりはなく、基本合意書に書いてあるからという理由で臨んでいるとしか思えませんでした。

いまだ自らの感染すら知らない人も含めて、どれだけの被害者が存在するのか?薬害であることを隠ぺいし、長年放置していたため、今では真相さえ明らかにできません。

被害者には何一つ非はないにもかかわらず、多くの命が奪われ、人生が狂わされました。

たくさんの人が病気の進行に怯えながら、何十年もの闘病を強いられています。そして、無念のうちに亡くなっています。唯一の治療法であるインターフェロン治療にはたくさんのリスクがつきまといます。

2008年9月。大阪での和解協議の席上、当時の葉山社長は原告団に謝罪し、薬害を二度と起こさないよう最大限の努力をすると約束しましたが、それも口先だけのことだったのでしょう。

田辺三菱製薬は、この悲惨な薬害事件を真摯に反省し、何らかの形で社会に還元してほしい。そういう気持ちで臨んだ協議でしたが、これで終了となりました。何も得るものがありませんでした。

« 2013年2月 | トップページ | 2013年4月 »

2015年4月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30