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2012年2月

2012年2月29日 (水)

熊本県の取り組み

また寒くなりました。春が待ち遠しい毎日ですが、庭の椿は満開。

週末のCimg1063_2東京マラソン、おもしろかったですね。

藤原新選手の走りをドキドキしながら観てました。それにしても、世界のトップランナーと一緒に走れるなんて、一般ランナーにとっては最高でしょうね。

私はというと、19日のハーフマラソンの後遺症でぐずぐずしておりました。足の筋肉痛もやっとなくなり、それにともなって膝の不調もおさまりつつあります。ここまで10日もかかってしまいました。情けないです。

無謀にもフルマラソンに挑戦したいなどと勢いにまかせて書いてしまいましたが、それにはまず身体のずれを治し、足腰の筋力をつけないととても走れませんね。

さて、先日、熊本県肝疾患連携拠点病院等連絡協議会が開かれ、患者委員として出席してきました。

熊本県では、県と熊大病院を中心とする医療機関が連携していろいろな活動を行っています。

主なものとして、肝がん撲滅運動市民公開講座、肝疾患相談室、がんペプチドワクチン療養に関する相談、肝炎患者サロン、など。

来年度はこれらに加えて、7月28日の「世界肝炎デー」にイベントを行うことが決まりました。

詳細はこれからですが、イベントを通じて、より多くの患者さんが行政や医療機関の取り組みを知り、利用するきっかけになればと考えています。

2012年2月20日 (月)

人吉春風マラソン

ひとまず目標達成

完走しました。タイムは2時間19分9秒。

目標タイムは2時間30分だったのでまずまずの結果でした。

気温7度の寒い日でしたが、楽しく走れました。球磨川の清流沿いのコース、景色は最高、沿道には地元の方々の心のこもった盛大応援あり。途中で止まれない雰囲気。

感動しながら走っていました。

完走できたのは、一緒に走った部活メンバーのはげましのおかげも。I田部長が伴走してくれました。

1日経って、今日は歩行困難。整骨院に直行、テーピングでやっと楽になりました。

ですが、心は達成感にどっぷり浸っています。1年前、500メートルも走れなかったことを思い出しています。

同じ日、熊本市では政令都市記念の「第1回熊本城マラソン」が開催されていました。こちらは4キロとフルのみ。熊本市内はかなり盛り上がったようです。

いつか、御幸坂を登ってお城がゴールの熊本城フルマラソンを走ってみたいと思います。

それにはまず膝をなおして、42キロを走れる強くてしなやかな身体をつくって。

日々努力。

2012年2月18日 (土)

体力つくり~ラン~

明日は最高に寒くなるようですね。

いよいよ明日は「人吉はるかぜマラソン」。間寛平ちゃんと福士加代子選手がゲストランナ-。

Cimg1052ハーフにエントリーしました!

昨年3月に5キロ、10月に10キロと徐々に距離をのばしてきたのですが、ハーフはちょっとまだ無謀だったかも。

走ったあとはお決まりのように膝痛が。整骨院で診てもらうと、骨盤のずれが原因のようで、ここ1カ月は整骨院に通いつつ、膝を”よしよし”しながらの練習。とほほ、、、。

ここまでしてなんで走るんだろう?と時々悩んでおります。
Cimg1054_3
最後の練習の昨日、膝が心配で5キロどまり。

結局、最長15キロしか走れていません。夕方、整骨院でマッサージとテーピングをやってもらいました。これでなんとか痛みもおさまったので、明日は完走を目標に走れそうな気がします。ハーフは未知の距離、こわい反面楽しみでもあります。

ご褒美は人吉温泉と球磨焼酎。

結果はおたのしみに。

2012年2月16日 (木)

治療終了後2年半

健康であることを感じる毎日。

一度二度Cimg1047三度と健康を失ったからこそその有難さがよくわかります。

インターフェロン治療が終わり2年半、副作用や後遺症を含め、その呪縛からやっと解放された感があります。

食欲も戻りました。眠れぬ夜もなくなりました。安定剤を飲むこともしなくなりました。

そして肝炎と決別できたことを実感しています。

この病気、解放されてあらためてそう思うのですが、私にとって長い間本当に重たい足かせでありました。

あれほどひどかった倦怠感もなくなり、疲れない元気な身体になりました。気がつけば、24年間呪文のように繰り返していた、「きつい」という言葉を最近使わなくなった。これが一番うれしいこと。

これまでただ漫然と流れていた時間でしたが限りある時間を大切にしよう。
後ろではなく前を見ている私。

二度目の人生が始まったような気持ち。治療終了後2年半の心境です。

2012年2月13日 (月)

凍った滝

遅い冬休みをとって、1年ぶりに二男が帰省してきました。

で、昨Cimg1041日は良いお天気だったので、一緒に阿蘇へドライブ。

冬の阿蘇はモノトーンで一番好きな季節。 凍った滝めぐりをしました。

滝を観に行ったものの、やはりあまり好きではありません。滝にたどりつくまでが大変で、登ったり下ったりとまるで山登りのようにきついから。写真は古賀の滝。

一宮~高森~南阿蘇~西原村と一周。途中、小さい頃よく遊びに連れて行った場所やお泊りした場所で、「なつかしいねえ」と言うと、二男は全く覚えがないらしい。親と一緒に出かけていたのは中学に上がった頃まで。小さい頃のことは忘れているらしい。ちょっとショック。

大人になってこうして付き合ってくれているので、まあいいか。

秋に登った高岳にも雪が積もってきれいでした。

2012年2月 8日 (水)

真冬の大阪で②

   草間彌生の展覧会「永遠の永遠の永遠」が開催中でした

4周年集会会場Cimg1014の国際会議場隣のリーガロイヤルホテルのロビーに入ったとたん、目に飛び込んできたオブジェ。遠くからでも一目でそれとわかるド派手な色彩の「明日咲く花」。

草間彌生の近作・最新作がホテル近くの国立国際美術館に来ていることをそこで初めて知って、胸キュン。そうと知って行かないわけにはいきません。

1時間ほどしか時間がなかったので、会議が始まる前に走って行ってきました(最近走っているせいか、10分で到着)。

2004年から3年間で描きあCimg1034げたモノクロ作品「愛はとこしえ」シリーズと、2009年から取り組まれている「わが永遠の魂」の作品群、合わせて100点。もちろん「かぼちゃ」もあり。水玉部屋に「チューリップ」もありました。自画像を描いた「新作ポートレート」。そして「魂の灯」というインスタレーションも。

これだけの作品が一度に観られるなんてなんて幸せ。さらに美術館のエントランスからロビーまで、あちこちに作品が配置されており、それはもうたっぷり楽しめます。

昨年夏、BSで草間彌生のドキュメンタリー番組が放送されていました。「わが永遠の魂」の制作現場に衝撃をうけました。生活拠点である精神病院から車椅子で毎日アトリエに通い、100号や130号の大作に挑んでいる姿が映し出されました。まさしく満身創痍。描くことによって死を乗り越え生き延びる。さまざまなモチーフで表現される彼女の魂。その作品は観る者を驚嘆させます。

また、会場でCimg1029は13分間の映像が流れていましたが、そのなかで「これから500点でも1000点でも描きまくって死ぬのよ。描いていないと自殺したくなるから。」「ピカソもウオーホールも超えて世界のトップになりたい」と語っています。

「これから先、もしも400年くらいかからないと全部できないという仕事を前にして、それでも私は出発する。」82歳にして制作意欲溢れる迷いなき言葉に、50代の私は圧倒されつつも勇気を与えられます。

草間彌生はこのまま200歳まで描き続けつくり続けるのCimg1031ではないか?作品を前にそんな錯覚さえ覚えます。 もちろんそんなことはありえませんが、その作品は「永遠の永遠の永遠」に輝くのでしょうね、きっと。

この展覧会は、大阪の後、埼玉、松本、新潟へと巡回します。お近くの方はぜひお出かけください。私は夏にもう一度、彼女の故郷・松本で観れたらなあ、思っています。

※絵画とインスタレーション以外は撮影が許されていました。

2012年2月 2日 (木)

真冬の大阪で

先週29日、基本合意から4周年の記念集会が開かれました。

あれからもう4年も経ったんですね。

大阪中之島の国際会議Cimg1016場に全国から220名の原告弁護団と当時の学生支援者が集まりました。

記念集会では、毎年開催地が集会のテーマを決め企画します。今年は、大阪原告弁護団による、薬害肝炎訴訟における学生支援にスポットをあてた企画でした。

2002年に始まったこの訴訟、2008年に解決するまでほんとうに多くの学生さんの支援を受けてきましたが、集会には当時の学生さん40人が集まってくれました。

Cimg1020最初にこの訴訟を学生支援活動を織り交ぜながら映像でたどりました。背景には中島みゆきの「誕生」が流れておりました。もうこれだけで涙腺がゆるみっぱなし。

その後、元学生さん数人  による座談会。「なぜ支援活動を行ったのか」など、当時を振り返りながらそれぞれの気持ちを語ってくれました。九州大学生だった勝田さんは、「傍聴に行くと、毎回被告代理人の態度に怒っていた。原告は肝炎で傷つき、また法廷で傷ついている。これは誰かがしっかり見ておかなければならない、という気持ちで傍聴を続けた」と語ってくれました。

最後は九州学生の会で活躍してくれた、現在は新聞記者の井上君とドクターの長君がスピーチ。

私がCimg1023提訴した2004年当時、すでに九州では学生の支援活動は始まっており、いつも裁判所には授業の合間を縫って(さぼって?)大勢の学生が来てくれ、傍聴席は常に満席でした。裁判所に限らず、あらゆる場所でいつも一緒に行動をともにしました。講演会では必ず学生さんとセットで話し、支援の拡大を訴えました。

意見陳述や本人尋問では、証言台に立つ原告全員へ寄せ書きをしたハンカチを贈ってくれました。本人尋問の日、裁判長が法廷に現れるまでの短い時間、そのハンカチに書かれた短い文章を読んでいると、書いてくれた学生さんの顔がひとりひとり浮かんできて、緊張していた心がなぜか落ち着いたのを覚えています。「いつもの調子で大丈夫ですよ。傍聴席からパワーを送っています。」など、やさしい言葉が並んでいました。

彼らがいてくれたからこそ頑張れた。そう思います。

あれから数年の時間が流れ、集会では、夢をかなえるために頑張っている現在の姿も紹介されました。

彼らのこれからの人生に心よりエールを送りました。

そして、彼らに恥じないよう、私もしっかり生きていこうと。

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