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2009年8月

2009年8月23日 (日)

夏休み

熊本は猛暑です。

治療が終わって3週間。副作用はこれまでと変わらず少々打撃を受けています。治療中よりも発熱の頻度が増え、毎日38度くらいまで上昇しています。最後の注射の日、熱はもう出ないだろうと思い、解熱剤を処方してもらわなかったことを後悔しています。まだインターフェロンが効いているのか、止めたことで身体が反応しているのか、、、。そのうえこの暑さ、一歩外に出るとクラクラするのでこもっています。

相変わらずのだる~い毎日でしたが久しぶりに長男と3男が帰省してきて気分転換になりました。長男は高速道路1000円を利用して松本から20時間かけて車で突然帰ってきました。なんで連絡せんの?おまけに今度は鼻を骨折していて、また心配の種。

ペーパードライバーの3男に運転の練習をさせるために3人で阿蘇をドライブしたり、この間空港や駅へ私の送り迎えをしてくれたり、ちょっと感動。

昨夜、二人で交代で運転しながらそれぞれの場所に帰って行きました。

1週間で長男は2キロ、3男は10日で6キロの体重増。子供達の食べっぷりを見ていると幸せな気持ちになるのですが、それにしても6キロって、ちょっとありえません。食べたいものを食べたいだけ食べさせたのは私ですが、、、。

           でこぽん

2009年8月14日 (金)

闘病生活

昨年8月14日に治療のため入院、今日でちょうど1年が経ちました。肝炎と決別するために頑張った?我慢した?1年間でした。

裁判では自分の被害を嫌というほど語ってきましたが、ブログには書いたことがなかったので、闘病生活の経過を少し綴ってみます。今さらですが。

1987年7月、双子の男子を出産した際、輸血と血液製剤の投与を受ける。(血液製剤投与については16年間知らずに過ごした)。翌日黄疸が現れ、産後3日目に内科医院に転院。2週間の絶対安静と点滴治療。医師は原因や検査数値については教えてくれず、いつもうやむやな答えだった。感染直後の肝数値が一体どの程度だったのか知らないまま。今考えると、医師は故意に告げなかったのだと思う。

1987年9月、一時退院したが再び肝数値が跳ね上がり再入院。病名は非A非B型急性肝炎、原因は出産時の輸血と診断された。半年間の入院生活で強ミノファーゲンを毎日投与したが、数値は安定せず700~100くらいを行ったり来たり。

1988年1月、退院。その後4年間ほど週2、3回強ミノ静脈注射を続けたが、数値は正常値には戻らず、この注射をどれだけ打っても同じだと思うようになった。途中、承認されたばかりのインターフェロン治療を勧められたが、医療への不信感があり拒否。また検査結果に一喜一憂することに疲れてしまい、通院を止めてしまった。その後裁判が始まるまで10年間病院には行かず、肝炎についての情報もシャットアウトした。肝炎のことを忘れて暮らしたかったのだが倦怠感や疲労感が強くて結局肝炎のことを忘れる日は1日もなかった。肝硬変や肝ガンに進行しなければ、慢性肝炎のまま寿命をまっとう出来れば、という気持ちだった。治療は放棄したが一生ウイルスと共存していく覚悟をした。

2004年3月、薬害肝炎九州訴訟の1陣原告となった。診断書提出のために10年ぶりに以前の内科医院に行き検査。GPTは90、慢性肝炎と診断された。ペグイントロンを勧められたが訴訟中でもあり治療は考えられなかった。しかし訴訟に参加したことで最新の治療情報を知ることになり、いつかは挑戦しなければという気持ちになった。

2006年10月、福岡地裁の判決後、専門医のいる熊大病院を初めて受診。1B型と診断された。その頃は肝数値も正常値、ウイルス量も落ち着いていた。

2008年2月、訴訟が解決したので半年ぶりにおこなった検査でウイルス量が突然跳ね上がった。4月の検査でも再び上昇。「1B,高ウイルス量なので治療期間は72週」と医師から告げられ、初めて治療時期を本気で考えた。

2008年8月14日、肝生検とインターフェロン治療導入のために熊大病院に3週間入院。

2009年7月28日、インターフェロン50本の投与をもって治療終了。

2009年8月、治療終了後2週間経ったが、治療中と変わらず副作用に悩まされる日々。

             でこぽん

2009年8月10日 (月)

終わったけれど

ペグイントロンは7月28日、レベトールは8月2日が最終日でした。

治療が終わって1週間たちました。体調が即刻元に戻るわけでもなく、この1週間はこれまでとおんなじでした。血中濃度が低下するには4週間ほどかかるそうです。どんな感じで薬が身体から抜けていくのかな、じっくり体感したいと思っています。

微熱はまだ続いていて今日も37度あり、薬はまだ効いているようです。ヘモグロビンは治療中ずっと10~11で貧血症状はさほど気になりませんでしたが、昨日は駅の階段が上れなくて、歩くのもやっとでした。安定剤は1ヶ月分処方してもらっています。これがないとまだ眠れそうにありません。出掛けたり人と会うことが苦になるのでなるべく家にこもっています。最低限のことはどうにかこうにかやっているつもりですが、人から見るとできていないかもしれません。

「終わったのに」という気持ちもありますが、あせっても仕方がありません。薬の血中濃度が下がる1ヶ月間はまだ治療中だと考えることにしました。弱っている分、リハビリには時間がかかりそうですが。

とはいえ、毎週月曜日の注射と朝夕のレベトール服用がなくなってほんとうに自由になりました。かなりのストレスでした。せいせいしています。

          でこぽん

2009年8月 3日 (月)

定期協議

1週間前(28日)のことですが、今年度の国との協議がありました。

基本合意を受けて昨年3月から始まり、もう4回目となります。

今年度は、インターフェロン治療の助成回数制限の見直し、肝炎治療体制の地域間格差の解消、眠っているカルテの調査推進による被害者の掘り起こし、等を直接舛添大臣に要求しました。それぞれについて前向きな回答があり、期待したいと思います。

特にインターフェロン助成回数の見直しは必ず実施してほしいものです。昨年度から始まった助成制度を使っての治療に効果が得られなければ、次は数年後に登場する3剤併用に賭けるしかありません。また、すぐにでも治療が必要であるのに3剤併用の承認を待っている患者もいます。その数年間に病状が進行することも考えられます。助成回数の見直しは必ず多くの命を救うことになります。

協議ではインターフェロン治療に数回挑戦したにもかかわらず、副作用による中断等で残念ながらウイルスを排除できなかった原告が意見陳述しました。聞いていて本当に身につまされました。きっと大臣も患者の現状をご理解いただいたはずです。

                       でこぽん

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