« 2006年2月 | トップページ | 2006年4月 »

2006年3月

2006年3月28日 (火)

大分日帰り

26日、一人で大分に行ってきました。帰りの山道、霧が出ていてちょっと不気味でした。

薬害エイズ  和解から10年、 ~原告が語る今、「変わったもの変わらないもの」~

昨年はじめて大分の薬害エイズの集会に参加したのですが、今年も昨年お会いした原告や家族、また、遺族の方と再会できました。今年驚いたのは、和解から10年経った今、実名を公表された人がいるということ。10年が過ぎ、治療法も社会の理解も進んだように思われますが、10年が過ぎても被害者はこれからも声をあげ続け、伝えていかなければならないのです。

どうしたら私自身の被害回復ができるのか、いつも考えます。自ら裁判を闘って勝訴すること、自分の手で勝ち取ることだと思っていますが、和解から10年経って実名公表された井上さんの姿を見て、被害回復への道のりの遠さを知りました。また、そんな井上さんに勇気をいただきました。

             でこぽん

2006年3月25日 (土)

更新が、、、

最近、なかなか更新できないでいます。

KIYOさんのコメントにもあるように、支援会議の内容もまだお知らせができていません。

今、子供達が進学のために家を次々に出ていっています。先週は二男が行きました。来週は三男。そして、先日、浪人中の長男が後期日程でやっと合格し、この子もまた熊本を離れることになりました。3月10日の支援発足会が終わってから双子の引越し準備に追われていたのですが、今週は長男の入学手続きと部屋探し、引越し準備と、、、、ありえない忙しさです。銀行には何回行ったか、、、わかりません。旅行会社も。電気屋にも。

ひとりでも大変なのに、我が家は3人もいっぺんに大学生になってしまいました。それも全部九州外に行ってしまいます。よその家ではなかなかありえないですよね。大学生が3人なんて。もう笑いでごまかすしかありません。一人でもいいから家にいてもらいたかったのですが、、。

我が家は短期決戦型です。それにしてもこれからの生活ってどうなるのやら、、、、。いつもならこの時期はお花見三昧なのですが、今年は行けそうもありません。

でも、明日は大分には行きますよ。

         でこぽん

2006年3月22日 (水)

熊本支援の会のブログ記事

ご存知の方も多いと思いますが古賀弁護士のブログに波多江弁護士の熊本支援の会の報告が掲載されています。
http://lawyer-koga.cocolog-nifty.com/

まだご覧になっていない方は是非ご覧下さい。
週一回のペースで会議が開催されているようです。でこぽんさんはそういう報告もできれば書き込んで下さいね。(KIYO)

2006年3月21日 (火)

大分集会への返信

でこぽんさんの「大分集会への返信」です

大分での薬害エイズの取り組みは1988年からの国会でのエイズ予防法制定の動きに呼応して草伏さんと徳田先生を中心にして作られた「エイズと人権を考える会」が始まりです。1995年3月に薬害エイズの訴訟が結審したのをきっかけに、考える会が担ってきた訴訟部門の支援を引き継ぐ形でHIV薬害訴訟を支える会・大分が発足しました。

1996年3月29日の和解までは毎週のように大分のトキハ前に立ち薬害エイズの全面解決の為の支援の呼びかけと署名活動を展開しました。

和解後も真相究明を求める活動や「謝罪と反省に基づくエイズ予防法の廃止」を求めたり和解後に始まった刑事裁判を監視したり「被害者の立場に立った判決を求める署名」を展開いたしました。最近では薬害肝炎の支援を行うためにまず学んでいこうと原告の方や弁護士の方をお呼びして学習会を薬害エイズの集会でセットで行っています。

こうして振り返ると和解までの1年、和解後の10年、を取り組んできたことになります。

草伏さんが生きていたら何をするだろうかという自問自答と私たちの活動を支え続けてくれた多くの方々の協力があったからここまでこれたような気がしています。

こういう話を3月26日に私も20分ぐらい話をする予定です。また「原告の今、変わったもの、変わらないもの」のテーマで福岡・東京・北海道の3名の原告の方が90分を使ってお話をします。

お近くの方は都合がつけばご参加下さい。(kIYO)

2006年3月20日 (月)

大分集会

3月26日、大分で、 「 薬害エイズ、和解から10年 」 という集会があります。

いつも応援してくださる大分では、毎年2回、薬害エイズの集会があります。3月が薬害エイズ裁判の和解の時期に合わせて、11月は薬害エイズ裁判を闘ってこられた草伏さんやM君が亡くなられた月にちなんだ追悼集会です。

私も昨年2度参加しました。参加するたびにいろいろなことを考えます。裁判が終わって10年を経て、なお続いているこの会自体が、とてもすごいこと、意味のあることだと思います。それだけ薬害エイズ問題はこれからも風化させることなく、伝えていかなければならないことなのです。

私もこの集会に行く前までは、裁判が終わって、謝罪や補償を受け、またいい薬もできて、すべていい方向に進んでよかった、よかった、という感想しか持っていませんでした。おそらく一般の人もそうではないかと思います。でも、そこで語られた患者さんでもあり、原告でもある方の話は違っていました。裁判が終わったからといって病気が治るわけではありません。今も、そしてこれからもつらい治療を続けなければならないのです。たしかに、以前のように死に至る病ではなくなった、といわれていますが、激しい副作用を伴う治療を続けることは大変なことだと思います。

裁判がおわっても、失ったっものは取り戻せないし、目の前に広がっていた将来をあきらめなければならなかったことにかわりはありません。和解から10年近くたって、はたして患者(原告)の苦しみは少しは減ったのでしょうか?たくさんの方とお話ししたわけではありませんが、そうではありません。国と製薬会社、また、エイズに対して偏見を作った社会の責任は消えることはないと思います。今後薬害をおこさないためにも、また、今なお苦しんでおられる方を支えるためにも、この集会はとても意義あることではないでしょうか。

          でこぽん

2006年3月16日 (木)

草伏村生さん

草伏村生さん

薬害エイズの原告で199610月に亡くなるまで薬害エイズの訴訟や運動の先頭を走ってきた人である。

大分では326日に「薬害エイズ 和解から10年」の集会を開催。その準備のために月曜日の夜と今夜の二回、彼の実家を訪問してお母様と少しお話をしました。

仏前に線香をあげて手お合わせて心の中で話しかけてみました。

「もう10年になりました。はえーなー、もう10年で・・・」それから言葉が続きません。この10年は彼がそばに居なかった10年でもありましたが、彼が生きていたら何をしただろうかと思いを寄せての活動だったので、それで充分だったかどうか自信はありません。とりあえず、「まだまだ頑張りますよ。」と約束をしてきました。

熊本では10日に支援の会が発足。原・弁と支援が一体となった活動ができればすごいエネルギーになると感じます。まずは一人でも多くの人に知ってもらい支援につながっていくといいですね。(KIYO)

2006年3月12日 (日)

支援の会できました

昨日熊本でも支援の会が発足しました。

平日夕方にもかかわらず、60人を超える多くの方に来ていただき、正式に熊本の害肝炎被害者を支える会が発足しました。現在80人近くの方が支援の登録をしていただいていますが、まだ増えそうです。今後は学集会や署名集め、街頭活動などをやっていく予定です。発足までもほんとうにたくさんの支援がありました。1月28日の集会からかかわっていただいた方、いつも励ましてもらいました。ありがとうございます。

パネルディスカッションでは、代表を引き受けてくださった熊本学園大学の原田先生は、”なぜ教訓が生かされないのか”と。熊本大学の小松先生は、”人命軽視の政策が被害を生んだ” と。お二人とも過去の失敗から何も学ぼうとしない国の態度を厳しく非難されました。水俣病やハンセン病問題などに長くかかわってこられたので、すごく説得力がありました。

これからもコツコツ、また、支援の方と楽しく活動できたらと思っています。

             でこぽん

2006年3月 9日 (木)

誕生日

昨日、3月8日は私の誕生日でした。

たぶん年はバレバレですよね。昨日はいつも取材でお世話になっている朝日新聞の明楽さんから朝一番にオメデトウの電話。彼女のお嬢さん(たぶん3歳くらい、)も同じ誕生日ということで電話を頂いた。気にかけていただいてちょっと嬉しい朝でした。

また今まで知らなかったけれど、3月8日は国際女性の日だそうです。熊本でも、夕方からこの日にちなんだ講演会があっていて、そこで3分間発言の機会があるというので、明日の発足会のことを宣伝してきました。

さて、母親である私の誕生日ですが、隣に住む義母が家族の誕生日には必ず朝からお赤飯を炊いてくれます。子供達は男の子ばかりなので、プレゼントははなから期待していません。ところが、昨日講演会が終わって9時ごろ家に帰るとテーブルの上にお花が、三男からのプレゼントでした。他の二人はというと、お金もなかったらしく、お手伝いをいてくれていました。食器を洗って、リビングも微妙に片付いていました。よその家庭ではお母さんの誕生日ってどうなんでしょうね。最近はずうずうしくなって、自分の誕生日は何もしないのが一番です。あ~~ここまで言ったらほんとにぐうたらです。

ちなみに、昨日は某弁護士の結婚記念日でもあります。おめでとうございます。

                でこぽん

2006年3月 8日 (水)

支援の会立ち上げ

熊本でもいよいよ支援の会ができます。

体調不良が続き、お知らせが間際になりましたが、下記のとうり発足会を行います。

「 熊本の薬害肝炎被害者を支える会 」 
         -発足会の御案内ー


場所:熊本県教育会館
     (熊本市九品寺1-11-4、  tel、372-3800)
  (熊本整形外科病院近く)

日時:2006年3月10日(金)18時半~

内容:
 1、薬害肝炎被害者の経緯と裁判について

  2、被害者の声

  3、パネルデイスカッション「薬害肝炎が問いかける問題とは」

         パネラー、  熊本学園大学、、原田正純教授

            熊本大学、小松裕教授

            薬害肝炎九州訴訟原告、出田妙子

 4、発足趣意書朗読


  1月28日の熊本集会を経て、いよいよ熊本でも支援の輪が広がりそうです。きっかけを作ってくれた大分をはじめ、福岡、長崎のみなさん、これからも地元熊本でがんばっていきたいと思います。応援してくださいね。

            でこぽん

2006年3月 7日 (火)

毎日新聞 連載情報

くうさんの紹介で発見しましたのでご紹介致します。

毎日新聞の連載情報です。
でこぽんさんは最初に紹介されています。

▼肝臓のなかまたち  記事「薬害のない未来を」から
http://oosaka-hepatic.cocolog-nifty.com/00/2006/03/post_946e.html

(KIYO)

2006年3月 5日 (日)

体調

最近の忙しさで体調はあまりよくありません。

結審後、体調がすぐれず、家でぐずぐずしています。卒業式やそれに伴う送別会や懇親会などが続き、今日はこんなにいいお天気なのに一歩も外に出ていないという状況です。何日も疲れがとれずに横になっていると、これは肝炎のせいなのか、それとも怠けているのか、わからなくなります。たぶん両方でしょう。

おまけにこの10日ほどメールができません。早く復旧できればいいのですが、、、、。

今週は支援の会立ち上げもあります。早く元気を取り戻したい、です。

         でこぽん

2006年3月 1日 (水)

卒業式

今日は二男、三男の高校の卒業式でした。

双子の息子達は中学までは同じ学校でしたが、高校は別々。学校行事は夫と分担してきました。私は三男の卒業式へ。朝から雨で、体育館は寒くて寒くて震えていました。ミッション系の私学なので、お決まりの卒業式の歌の代わりに全部賛美歌で、また、来賓祝辞も少なく、ちょっと新鮮でした。

この子達は生まれた時未熟児で、そして私は産後すぐ発病し入院。思い出すと、よくやってこれたなと思います。赤ちゃんの頃は母乳もやっていないし、抱っこしてミルクも飲ませていないし、、、、。ほとんどかまっていません。長男の時とは大違いでした。まあ、それでも元気に育ってくれて、4月には家を出ていきます。浪人中の長男も今年は家を出る予定。子育てもここでひと段落、と思うと、今日はひとりで感慨にふけっていました。男の子が三人いると大変でした。三人とも小さい時から高校までずっとサッカーをしていたので、洗濯はすごかったです。また、食べる量も半端でなく、しょっちゅう食べているので、買い物も大変。あと一ヶ月で開放されると思うと、うふふ、ですが、いっぺんにいなくなると、どのくらい寂しくなるのか、まだ想像できないでいます。

      でこぽん

« 2006年2月 | トップページ | 2006年4月 »

2015年4月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30