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2006年2月

2006年2月27日 (月)

結審、その2

傍聴席は満席、代理人席も普段よりイスが多かったような気がしました。260人もの方が抽選に並ばれたそうです。

初めに国代理人の意見陳述。三人がそれぞれ10分間、これまでの主張を繰り返していました。昨年の証人尋問でことごとく弾劾されたというのに、まだ同じことを繰り返している姿に空しくなりました。フィブリノゲンの有効性は明らかだとか、肝炎の予後は良好とか、聞いていて気分が悪くなりました。いいかげんにして欲しい。

次は原告と原告代理人が交替で陳述しました。直前に、国の言いたい放題、でかなり頭にきていたので、4人の弁護士の言葉がとても心にしみわたりました。 私達原告も、それぞれが裁判所に一番訴えたいことを述べました。私は、製薬企業の利益追求主義とそれに便乗した国によって人生を狂わされ、命を軽んじられた怒りを述べました。

判決は8月30日に決まりました。大阪判決が6月21日なので、九州もそのころかなと思っていたのでびっくりしました。半年後、長いなあ~。

その後、裁判所の近くで記者会見とシンポジウムがありました。私は記者会見の途中で福岡放送の、 めんたいワイド  という番組に出るために退席。生番組なのにその話しを聞いたのは直前。つべこべいう間もなくスタジオへ。生出演は初めての経験でした。

シンポジウム会場にすぐ戻ったのですが、もう終わりかけていました。学生の会、中西さんと、九大の内田先生のお話しか聞けませんでした。内田先生のお話でとても心に響いた言葉がありました。それは、裁判所をつき動かすのは、原告が真実と魂を語ること。とっても疲れていたのですが、勇気がでてきました。これからもがんばろうと。

ということで、やっと懇親会までたどりつきました。今回は今までになくたくさんの人で居酒屋は貸切状態。原告、弁護団、支援者、マスコミ、、、たくさんの人がおいしいお酒を飲みました。もっといたかったけれど、10時50分の有明に乗って熊本へ帰りました。

2月22日の結審、多くの人の支援を受けてここまで来れました。判決までの半年間、これからは世論の喚起をすべく、あらためてまたスタートラインに立っている心境です。

            でこぽん

2006年2月25日 (土)

結審、その1

22日、結審を迎えました。長い一日でした。

更新が遅くなりましたが、無事に終わってよかったです。家に帰って疲れがどっとやってきて。でも、どうにか回復しました。結審前後の出来事を報告します。

21日は陳述書の最終確認を11時ごろまでやっていました。

やはり前日になってこれでいいのかな?と気になってきました。夕方6時ごろから電話とFAXで弁護士とやりとり。言いたいことが多すぎて6分にまとまらない。でも、思い切ってテーマをひとつにしぼりました。

当日は7時半に家を出て、10時に波多江先生の事務所でまた打ち合わせ。

前日に出来上がった陳述書の最終チェック。読み合わせをして、言い回しなど、細かいところまで確認しました。12時ごろやっと準備完了。裁判前集会にもなんとか行けることになりました。ここで半分は終わったような心境でした。やっとでけた~~~~。集会でしゃべって、入廷行動も終わって、するとまた練習に連れて行かれました。でも一回でOKをもらい、(よかった)いよいよ法廷に入りました。

相変わらずせっぱつまってバタバタしています。この先はまた追って報告します。

             でこぽん

2006年2月23日 (木)

結審に行ってきました2

裁判所前集会の後は結審の傍聴、記者会見、シンポジウム、懇親会と続きました。最初から最後までたくさんの参加があり福岡において支援が根付いていることを感じました。

結審の中では、でこぽんさんは原告の中で一番最初にお話をしました。はっきりとそしてゆっくりと被害の大きさと命の大切さを話されました。(詳しい記事としては本日の毎日新聞に写真入で大きく紹介されています。この新聞の写真がまたいいのです。ぜひご覧ください。)P06222_04ss

   (写真は記者会見の様子、左から小林さん、山口さん、福田さん、でこぽんさん、浦田弁護士、写真をクリックすると少し拡大します)

P06222_17ss (写真はシンポジウムの最後に壇上でアピール分を読み上げているところです。右から3人目はマイクをもってアピールを行っている薬害肝炎訴訟を支える長崎学生の会~LANCE~の代表の長君です。写真をクリックすると少し拡大します)

結審のお話は、でこぽんさんから書き込みがあると思いますが、福岡地裁の判決が8月30日と決定しました。大阪判決が6月21日で、東京・仙台・名古屋も7月~9月にかけて結審する予定ですから、これからが重要になると思います。大分では当面は署名に頑張ろうと思っています。

▼詳しい情報は

http://lawyer-koga.cocolog-nifty.com/

(KIYO)

結審に行ってきました

2月22日の結審の日に大分から7名で福岡地裁に行ってきました。

13時から始まった裁判所前の集会では支援の熱気であふれていました。そしてマスコミの数もすごかったです。地元福岡はもちろん、熊本と長崎からも複数のテレビ局が来ていました。実名公表の影響でしょう。

でこぽんさん夫婦もマイクを握ってお話をされました。

P06222_01s (写真はクリックすると少し拡大します)

それから1月28日の熊本での取り組みの際にお世話になった方々にこの日もたくさん出会えて気軽にお話できたのもうれしい出来事でした。(KIYO)

2006年2月20日 (月)

結審前夜

いよいよ結審の日がせまってきました。

22日、結審を迎えます。結審を控えてこの1ヶ月は取材、取材で、今日も朝日新聞の取材でした。それに加えて昨日は原田、波多江弁護士と打ち合わせ。意見陳述のほうはなんとか先が見えてきてぽっとしました。でも、まだこれから大幅改定される可能性大です。当日朝の最終打ち合わせまで気が気ではありません。

私が追加提訴してちょうど2年目に結審を迎えることになります。やっとここまでこれた、と少し感慨深い心境です。実名で裁判を闘うことは、やはり自分には荷が重すぎる、と思ったこともありました。ここまでこれたのは、なんといっても、支えてくれる人がいたから。学生の会をはじめ支援の方、熊本の患者会、家族、友人、それと、弁護団。特に担当の波多江先生には提訴時からお世話になりっぱなしでした。

と、まだ裁判を振り返るのは早すぎですが、私にとっては結審はやはり大きな区切りです。やっと折り返し地点まで来た、そんな気持ちです。結審後にやってくる喧騒の前に、明日は少しゆっくりします。

まだ意見陳述をしなければならないので、気は抜けない状態ですが、、、、。

22日には判決日も言い渡されます。また、夕方からは結審シンポジウムもあります。とっても盛りだくさんな日、どんな一日になるのか楽しみにしています。たくさんの人が集まってくれたら最高な一日です。

           でこぽん

2006年2月19日 (日)

取材、取材

17日は一日中取材でした。朝、昼、晩とひっきりなし。

午前中は、熊本の匿名原告さんの新聞社取材に一緒に行きました。3時からはKKT, 熊本県民テレビ、いつもは自宅ですが、今日は近くにある江津湖という湖に行きました。お天気はよかったものの風が冷たい日でした。この湖は熊本市のほぼ中心部にあって、湧水です。公園になっていて、平日というのにたくさん人がいました。ここでインタビューをうけ、次に散歩シーンを撮影、これが超恥かしものです。イヤダと抵抗したのですが、、、。

夜は夫の取材でした。こっちはもちろん自宅。放送は20日、午後6時15分頃だそうです。

結審前夜ということで、あわただしく過ごしています。今日19日は担当弁護士がうちに来ます。今日意見陳述のメドがたてばいいのですが。

また、今日は長男の受験日です。裁判も受験も大詰め、あまり息子にはかまっていなくて、でも、5時には起きてお弁当作る予定です。あと4時間しか寝れませんが。

                 でこぽん

2006年2月18日 (土)

結審直前

福岡訴訟の結審が2月22日と直前になってきました。

22日の日程は古賀克重弁護士ブログに掲載されていますのでご確認ください。

http://lawyer-koga.cocolog-nifty.com/fukuoka/2006/02/post_7d3a.html

新聞やテレビで薬害肝炎が取り上げられ始めています。マスコミ報道は結審の前後まで続くと思いますのでぜひご覧ください。(KIYO)

2006年2月16日 (木)

めいっぱい

昨日はめいっぱい、取材と打ち合わせをこなしました。

昨日は5時に起きて、リビングの片付けと朝食作り。朝の取材は大変でしたが、家の中が少しはきれいになってよかった、ことにします。

午後は福岡で3回目の打ち合わせでした。波多江、原田弁護士と約3時間、話し合いました。が、まだまだ出来上がりませんでした。難しいです。

博多駅でギリギリ間に合ったリレーつばめは珍しく満席で、久留米まで立っていました。

ということで少々疲れてしまい、今日は家でじっとしています。

     でこぽん

2006年2月14日 (火)

明日は取材

明日はKKT(熊本県民テレビ)の取材です。なんと朝7時に記者の城戸さんがうちにやってきます。 また、3時半から福岡で意見陳述の打ち合わせです。ふ~~~~。

明日取材だというのに、家は散らかっています。おまけに早朝。どうしよう。片付ける暇がありません。ブログの更新している場合ではないのに、、、。

午後からは久しぶりに打ち合わせです。弁護団の合宿も確か今日で終わりです。先生方、お疲れ様でした。(ボロボロかもしれない。)あと一週間しかないので本気モードにならなくてはいけないのですが、、、。国側の書面の話を聞いたら、たぶん怒り爆発でガンガン進むかも。

  でこぽん

実名公表

少し前のことですが、福岡の放送局、テレビ西日本 の番組が放映されました。タイトルは、  実名公表~薬害訴訟原告たちの覚悟  というものでした。

熊本では放送されていないので、古賀弁護士からビデオが送られてきました。(いつも弁護士から本やビデオや新聞記事などいろいろ送られてきます。)

九州訴訟で実名公表している山口さんを中心に、その後に公表した小林君、福田さん、私の、公表にいたる経緯や、これまでの活動を追ったものでした。取材でも必ず実名公表の理由を聞かれます。私としては、実名公表しているのは全国で山口さん一人だけ、ということを知った時、逆に驚きました。C型肝炎って名前も名乗れないような病気なの?と。

実名公表の理由ですが、そんなに大そうなものではありません。たぶん 性格  です。だまってはおれない性格、です。山口さんと話していると共通するものがあります。山口さんは福岡在住ですが、熊本出身です。私とは中学校が一緒で、おまけにテニス部のひとつ先輩でした。30数年前、一緒にテニスをしていたなんてちょっと笑えますが。それとも、熊本の地域性かな?とも思います。熊本の女性は  火の国の女、もっと古い言葉では、  肥後の猛婦、 といいます。猛婦なんてちょっと恐そうなイメージですが。

そういえば、長崎の福田エリコさんのお父様は、熊本出身だと聞いています。ということは、エリちゃんも半分は 肥後の猛婦 ということになります。やっぱり。

       でこぽん

2006年2月12日 (日)

夜更かし

オリンピックのモーグル競技を見ていたらついつい夜更かししました。

いつも結構遅くまで起きています。でも、今日からオリンピックが始まり、こんな時間までまだ起きています。モーグル決勝も見たいけれど、あんまりなので、、、。これから夜更かししそうで、、、怖いです。

日付けが変わりましたが、11日はアメリカから里帰りしている義姉と近くにあるサントリービール工場に行ってきました。モルツの試飲ができるのです。運転してくれる人がいたので私も少しだけ出来立ての生ビールを飲んできました。でも、試飲会場にたどりつくまでの道のりが長くて長くて、約30分の工場見学をしないといけません。試飲は20分間、おつまみ付き。健康のためにグラス3杯までと書いてありました。

出来立てだし、ビールのつぎかたも違うのか、やはりとってもおいしい。!!最近発売のミレニアムモルツも試しました。こちらはホップが多いらしく私には苦すぎ。

なるべくアルコールは避けています。が本当はビール好きです。今は飲めませんが、(といっても今日は飲みましたが)いつか大手を振ってカンパイしたい  です。

             でこぽん

2006年2月10日 (金)

一通のちから・・・アンケート3

P0128an (写真はぎっしり書かれたアンケート:写真をクリックすると少し大きくなります)

じっくり話を聞くことができ、深く学べ、感動もし、怒りも感じました。

時間がのびてうれしい(?)学習会ってめずらしいです。

いい会だったと思います。(43歳男性)

今日はこの一通で紹介は終わりにします・・・。(KIYO)

2006年2月 9日 (木)

取材を受けました

昨日、日経新聞の取材を受けました。

昨日は熊本でも雪の舞う寒い一日でしたが、日経新聞の記者の方が熊本まで来てくれました。昨年末から新聞社の取材をいくつか受けてきました。テレビの取材と違って、テレビカメラがずっと回っていないのがとっても気が楽でした。

いつも必ず質問されるのが、慢性肝炎の症状がどんなものか、ということです。肝炎の倦怠感はなかなか健康な人には理解が難しいようです。昨日も記者の方に 、 スポーツをした後の疲労感のようですか?と聞かれ困ってしまいました。これまで何度となく聞かれて、あーだこうだと答えてきましたが、たぶん伝わっていないだろう、と思いました。

最近義母が、胆石の影響で肝機能が600くらいになったことがありました。はじめは原因がわからず、とにかくきつい、きつい 、といっていました。その後、肝臓障害だったとわかったのですが、その時、初めて私のつらさがわかった、といってくれました。

やはり、この倦怠感は経験しないとわかってもらえないようです。私も発病間もないころは、いつもゴロゴロしている自分がほんとうにイヤで、でもどうしても しゃきっと できませんでした。まるでなまけものです。

病気のせいとはいえ、見かけは健康な人と全然かわりません。原告の中には夫や家族にこの倦怠感をわかってもらえず一人で苦しんでいる人も少なくありません。先日の集会でも患者会の女性の方が、夫が病気を理解してくれずにつらい、と涙を浮かべて話されました。

また、これも28日集会で経験したことです。県立劇場の駐車場がその日混雑が予想されたので、患者さん専用に20台でも空けてくれるようお願いしました。病人が多いので、といったらOKしてくれそうでした。でもその後に、車椅子とか酸素とかお使いですか?と聞かれました。もちろん肝炎で車椅子を使っている人はほとんどいません。なにか障害があることが確認できないので駐車場は空けられない、という返事でした。

なかなか一般の人には理解しずらいと思います。自分でも説明するのは困難です。私の義母のように経験して初めてわかってもらえるのかもしれません。 

     でこぽん

2006年2月 8日 (水)

アンケートの感想を紹介 2

裁判の勝利とこれからの頑張りを私たちができる限りの応援をして行きたいと思います。(46歳女性)

今まで知らなさすぎました。自分の母の病気についても関係あるのではないかと思いました。この問題について職場の人や友達に知らせて生きたいと思います。(47歳女性)

知らないことでは済まされないことが世の中には多くあります。薬害、薬害訴訟、原告を支える方々、学生など、いろいろなものごとや人たちを知ることができて、とても意義のある会だったと思いました。(21歳男性)

とてもいい構成で感動しました。生きていくために連帯すること、生きていく事を疎外するものと戦うことの重要性をよく理解できた集会でした。(51歳男性)

友人に声をかけられ参加しました。他人事ではないことを重く受け止めました。戦っていらっしゃる方、支えておられる方々に感動しています。(45歳女性)

話をきいて身近な人に今日の話を伝えたい。(50歳女性)

司会進行がスムーズで良かったと思います。出田さんのお話、患者会の方、やはり疾患をお持ちの方の話が一番心に響いた。支援できることを精一杯やっていきたいと思います。(28歳男性)

私はC型肝炎です。出田さん、浦田さんの話を聞き勇気付けられました。1981年の心臓手術の輸血で肝炎、あとは最初から最後までまったく出田さんと同じで、まるで私の話を聞いているようでした。現在インターフェロン治療3ヶ月目です。今日は本当に来て良かったと思います。私は実名公表で頑張っていこうと思います。(64歳女性)

18年間という時間がなぜかかっているのか!本当に国、企業の怠慢を感じます。おそすぎる!全てが!この国に生まれたことが幸せだと感じられない。多くいの人とつながっていく必要性を感じます。(50歳女性)

2006年2月 6日 (月)

一週間

集会が終わって一週間、忙しくしていました。

KIYOさん、前夜物語やアンケートの結果など、更新ありがとうございます。

この一週間、熱が出たりしながらもバタバタしどうしでした。3日は意見陳述の打ち合わせで福岡に行ってきました。尋問の時もそうでしたが、自分の気持ちを言葉にするのは難しいです。それも弁護士経由で作り上げるので出来上がったものが自分の気持ちにしっくりこないときがあります。まだ日数があるので本気モードになっていないのかも、、、、。また本番間近で四苦八苦するのは眼に見えているのですが。

また、支援を申し出てくれた友人と一緒に、支援の呼びかけ人になっていただくお願いに行ってきました。友人は私と違ってとてもさばける人なので、どんどん進んでいきます。つめの垢でも煎じて、、、。熊本で支援の会を立ち上げるべくがんばっているところです。

ところで家の中は気がつくと悲惨な状況でした。明日は片付けなければなりません。夫の姉がアメリカにいるのですが明日こっちにくるのです。一週間の滞在予定ですが、整理整頓が趣味の姉なのでこのままではあまりにもヒドイ。

と、こんな一週間でした。あさってはまた取材の予定が入っています。福岡では結審を前に毎日のようにあちこち支援要請に忙しそう、盛り上がっているようです。

         でこぽん

アンケートの感想を紹介 1

(1月28日のアンケートから感想を抜粋してご紹介します)

     改めて原告の方のお話を聞くことでこの薬害問題が頭の中で整理できたように思う。本当に「死」ということが隣り合わせということ、普段原告さんが元気なように見えるだけに、死の不安と戦うことが以外というか、それだけに辛く感じた。(22歳男性)

     手づくりでよかったです。たくさんの方が集まられて有意義だったと思います。病気のことも分かりやすく解説していただき苦しさも共感できました。涙が止まりません。(43歳女性)

     出田さんの説明が大変よかったと思います。福岡の方に負けないように熊本もがんばりましょう。(66歳男性)

     熊本でこのような会が開かれてとても良かったです。世論を高め裁判での勝利できることを祈ります。生命が大切にされる世の中を作っていきたいです。「声を大にして言える世の中」という言葉が胸に響きました。(31歳男性)

     自分の親のことを考えて他人事には思えませんでした。参加できて良かったです。ありがとうございました。(22歳女性)

     判決までミニ集会を何回も開催することが重要だと思います。(29歳男性)

     全く何も知らなかったのでこれから少しでも多くのことを勉強して理解して行きたいと思いました。(17歳女性)

2006年2月 5日 (日)

アンケート結果から

1月28日には43名の方がアンケートに協力していただきました。もう少し多くてもいいかなーと思いますが、終了予定が30分も遅くなったのが大きく影響しているのではないかと思います。

しかし、貴重なご意見をいただき本当にありがとうございました。

簡単ですがアンケートの報告をさせていただきます。

回答者内訳 (男性11名、女性32名)
地域(熊本市内28名、熊本県内8名、熊本県外5名)
取り組みを知った理由 複数回答あり(新聞4名、テレビ1名、チラシ4名、ポスター2名、インターネット3名、友人知人19名、ラジオ2名、弁護士紹介2名、通信1名、その他6名)
薬害肝炎について理解できたかどうか(大変よく理解できた34名、まあまあ理解できた8名、あまり理解できなかった0名)

このアンケートから見ると、広報活動でとった手段がすべて功を奏していることになります。また友人知人の呼びかけ効果があったかがよくわかります。そして薬害肝炎についてよく理解できたと評価していただいたこともうれしいですね。(KIYO)

2006年2月 3日 (金)

『被害を語るということ』への返信

『被害を語るということ』への返信

薬害の被害者は病気と闘いながら訴訟を闘っています。病気に対する理解と裁判に対する支援を国民・市民に求める闘いでもあります。被害の実態、原告としての思い、を語ることは大変なことだし勇気のいることだと思っています。

しかし、私たち支援者が訴えるのと原告の方々が訴えるのでは雲泥の差があります。私たちの発するのは情報になりがちです。それでビデオを使ったり資料を作ったりして工夫を凝らします。でも原告の方々の話にはかないません。でこぽんさんが発するのは情報だけではなく表に出れない原告の方々を含めた心からの思いだからです。心の叫びだからです。その思いや叫びが人の心を打つのです。心を揺さぶるのです。

私たち支援者に出来ないことを、でこぽんさんら原告の方々に頑張ってもらわないといけないのです。だから、逆にでこぽんさんらが出来ないことを私たちが頑張るのです。広報も印刷準備も私たちが頑張ります。でこぽんさんらが辛い時は勇気を与えられるような、でこぽんさんらが苦しい時は元気を伝えられるような、そんな支援を行って行きたいと思っています。でこぽんさんには体調管理を万全にしながら、悩みながらも進んでいってもらいたいと思っています。

薬害エイズの被害者で大分の草伏村生さんのお母さんは、命を削ってまで闘う彼の姿に「苔むす岩の間から流れる雫がやがて大河の流れのもとになる」というような唄(詳細は忘れました)を詠まれています。また、「誰かが荒れ果てた藪の中を切り拓いて道を作っていくしかない」と話されたこともあります。

そんな姿を見て支援にそっぽ向く人は誰もいませんでした。私たちは原告の方々の思いに触れ、この薬害肝炎の問題も一生懸命伝えていくことを続けていきたいと思っています。

と、でこぽんさんの書き込みを見て思いました。長くなるからこちらに書きましたが、返信にならないかも…。 (KIYO)

2006年2月 2日 (木)

改名しました♪

1月28日が終わったらこのブログ名を変えようと、でこぽんさん話していたのですが新たらしくイメージできるものがなかなか見つからなかったのです。

ただ、もともとの「1月28日への手紙」の「手紙」は使いたいと思っていました。

だってブログのアドレスは http://letter0128.cocolog-nifty.com/ のようにLetter(手紙)がメインになっているのですから・・・。

しかし、毎晩少しずつ考えていましたが、これだ!というのにめぐり合いませんでした。

それで今朝このブログを見てみると、でこぽんさんのとてもあつい思いが書かれていましたので、これかなーとひらめきました。

熱い思い=ほっとな思いで、HOT LETTER  それにこのブログはあったかい雰囲気にしたいなーという思いもあって「ほっとな手紙」

その両方の思いを込めて「ほっと Letter」にしました。

そしてサブタイトルは、はじめた見た人にも分かりやすくするためにくっつけています。

早速、でこぽんさんと相談してこころよくOKをいただきましたので正式に改名することにいたしました。

どうか今後も ほっと Letter ~薬害肝炎の完全解決を願って~ をよろしくお願い致します。

被害を語るということ

原告となってからあちこちで自分の被った被害を話してきました。

薬害肝炎について理解してもらうためには、私達原告が自らの被害について話さなければ理解を得られません。実名公表しているので講演会、勉強会に呼ばれて、またマスコミ取材の場で、何回となく被害を話してきました。

しかし、初めのうちは自分の被害が一体何なのか深く考えていませんでしたし、よくわかっていませんでした。また、ここまでは話せる、これ以上は話せない、と自分で話す内容に線引きをしていたような気がします。

昨年10月の原告本人尋問のために担当弁護士と二十数回の打ち合わせをしたわけですが、被害を徹底的に追及されました。思い出したくないことや、絶対話したくないことまでさらけだして尋問にのぞんだわけです。とてもとてもつらい作業でした。しかし、そのことによって自分の被害がはっきりと浮かび上がってきたことも確かでした。

熊本集会の原稿を考えている時、ふと本人尋問時の尋問事項をながめてみました。10月以来一度も見たことはありませんでした。読んでいるうちに涙がこぼれてきて止まらなくなりました。涙がこぼれる箇所がおそらく私にとっての一番苦しい、つらい被害なのです。(もともと泣き虫ではありますが)

今回初めて地元熊本で被害を語ることになり、とても抵抗がありました。友人や知人の前では、つとめて普通に、明るく元気に振舞っていたので、私のもうひとつの側面をさらけだすことになかなか決心がつきませんでした。同情されることはもちろん本意ではありません。

結局尋問事項の一部分を原稿に加えることにしました。共感してもらうためにはそこまで話さないと伝わらないと思ったからです。(当日やはりその箇所では涙ぐんでしまいました。)

被害を語ることは私達原告にとってはとてもつらいことです。しかし、被害を語らなければ理解してもらえません。私はいつもそのジレンマの中にいます。

            でこぽん

2006年2月 1日 (水)

インフルエンザ、その後のその後

やっぱりインフルエンザに罹っていたようです。

先週の集会前日から微熱が続いていたのですが、おととい急に高熱がでて診察を受けました。タミフルを処方され、一日分飲んだら熱も下がり、今日は元気になりました。

ブログの更新もちょっと休憩しましたが、その分KIYOさんが前夜物語として、集会を支えてくれた方々のエピソードを紹介してくれました。

私の知らないところでもたくさんの方が動いてくれていたんですね。ほんとうにありがとうございました。

                でこぽん

思い(プロジェクトX 風?)

P128_5s(写真をクリックすると少し大きく表示します)

集会の前日、27日の金曜日、夜7時には集会配布用の原稿が揃っていた。しかし、印刷を任されていたFさん、Nさん、Kさんは8時になっても印刷が出来ないでいた。配布資料の原稿は6枚、それにアンケートと署名と質問用紙。さらに現地での持ち込み資料もある。それをどうまとめるのがいいのかを試し刷りしながら議論をしていた。6頁分をA4の両面印刷にして3枚をホッチキスで止めると式次第の順番からすれば「原告の思い」が最終面に来てしまう。机に置いたときに最終面がすれたり、折れ曲がったり、最悪は最初に剥がれてしまう危険性があるので、それはどうしても避けたいという気持ちがあった。それに現地の資料だけでも最低3種類はあるはずなので、親切な集会として封筒に全部入れて手渡ししたいところだが、そこまで手間はかけられないという思いも巡る。最終的には原告の思いの後に「メモ」のページを追加して背表紙は空白にすることにした。さらにA3の両面印刷にして新聞みたいに綴じ込みにすればバラバラの資料も広告みたいに真中にはさみ込めるし、現地での追加資料も同様に挟み込めば貰った人は持ちやすいことになる。印刷の紙が余分に必要となったが、原告からのメッセージと集会参加者の資料の持ちやすさにこだわった。

ようやく印刷を開始したが200部印刷したところで再び作業が中断した。準備会では座席は168席用意して、参加者が増えた時は会場内の左右と後ろにイスのみの席を増やす、多くの参加者が来ることも想定して250部の資料を用意することが確認されていたが、その平均でも良いのではないかと言う話が出たのだった。最終的には「準備する側が来てくれることを信じなくてどうするのか?」ということで、余れば来たくても来れなかった人に配ってもらえれば無駄にはならないと250部の資料を揃えた。

次に横断幕の作成に取り掛かる。夜食で用意したパンを食べながら、色合いと大きさを確認していく。「in」のバランスが悪いので何度も大きさを変えてみる。サブタイトルの「原告・出田----」の「・」のバランスも悪い。色が赤になると日の丸にも見える。Fさんのアイデアで出田さんの似顔絵を置いてみた。数センチのイラストをB4まで拡大すると近くで見るとかなりぼやけてしまうが、遠目からはなかなかいい感じに見える。3人からのプレゼントにしようとそのイラストで決定。出田さんの驚く表情を見たいので会場ではこっそり貼ろうと話しながら作業を続けていた。

当日は会場を後にする直前に準備に関わった人たちで横断幕も持って記念撮影。そして記念にその横断幕を出田さんは持って帰ったのだった。3人の思いを込めた作業が報われた一日でもあった。(KIYO)

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